花ざかりの森。

物書き・伊織花純(硴水巴菜)の情報や小説置き場です。

quartetto~四兄弟狂騒曲~(4)

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 久々の家族旅行。
 最後に行ったのは、俺の記憶に寄れば、お袋がやたらと入退院を繰り返すようになる前だから、どう少なく見積もっても十年以上前のことだ。
 旅の始まる朝は、梅雨の合間とは思えないほどの快晴だった。
 寸前まで、なんだかんだと理由をつけて、梓は行かないと言い続けていたが――言い出したら、はっきり言って梃子でも動かない。無茶苦茶頑固だ。そんなのは面構えに現れてると言えばそれまでだが――結局は勇仁兄に説き伏せられて、今、東北新幹線のシートに納まっている。
 走り出す前から盛り上がって、駅弁を広げていた量也兄と俺を小馬鹿にするような冷めた視線を一度投げて寄越したきり、会話にも加わらず、車窓を流れ過ぎる風景を眺めているか、分厚い本を読み耽っているかで、その眼差しはかなり不機嫌に引き絞られていた。
 旅行のときぐらい、つまんなくても付き合えよ。っつ~か少しは笑え!
 こっちが鬱になるっつ~の!
 しかも、その仏頂面が、勇仁兄に話し掛けられたときにだけ解けるって言うのは、どう言うもんなんだろう。
 いや。
 正確に言うと――この正確に言うってヤツがかなり口惜しくて、腹立たしいのだが、梓が無愛想に小馬鹿にしているのは、どうも俺だけらしいのだ。量也兄とも結構普通に会話をしている。勇仁兄に対するときほどじゃないけど、笑顔だって浮かぶ
 それに俺が絡むと、途端に表情が失せる。
 どうよ! どうなのよ! マジで。その辺は!
 などと、猛っているうちに、新幹線は盛岡に着いた。
ここで東北本線に乗り換え、青森へ向かう。これがまた二時間半かかる。
 東京から既に二時間半かけて、ここまで来ているのに。また半分にも満たない。
 なんて日本は広いんだ。
 絶対、あの世界地図の中の日本の図って嘘だと思うよ。ほんと。
 あの尺度が正しいなら、中国やらロシアやらアメリカやらはどんだけかけて移動するんだって話よ。永遠に目的地に着けないんじゃないの。実際の話。
 東北本線に乗り換えても、久々の家族旅行は、賑やかなような、そうでないような、微妙なバランスで保たれ続けていた。
 目的地の十和田湖に着いたのは、午後二時を過ぎていた。

「腹減った~~~メシ~~ッ」

 真っ先に目に入った「十和田湖牛料理」の文字に、俺のすきっ腹が鳴り響いた。
 駅弁を食べて、おやつも散々食べたけれど、足りるわけがない。長旅はそれだけで腹が減る。

「そうだな。まず飯にしよ……」
「俺はいいよ。後で。奥入瀬渓流見ておきたいから」

 俺の意見に賛同した勇仁兄の言葉を遮るように――まさに、俺が喜びの声を上げる隙間すら与えずに――梓が、また憎らしいことを言い出した。
 はぁ?
 奥入瀬渓流が見たいだぁ?
 そんなの飯食ってからでいいだろうがッ! 集団行動を乱す発言をするなっつ~のッ!
 家族だって、一個の「社会」だぞッ! 協調性を持てッ!
 だいたい、お前がそう言う発言をすると、うちの長男は何を置いてもお前を取るんだからさ! 俺のすきっ腹は無視されちゃうわけだよ! 
 マジ、頼むから、協調性を持てッ!

「腹、減ってないのか?」
「うん。今のところは。とりあえず、俺一人で行くからいいよ。皆は食ってから、後から来れば」
「そう言うわけには行かないだろう」
「大丈夫だよ。もう子供じゃないんだし。こんなのピクニックコースだから危なくもないし」

 そう言って、梓は無上の笑顔を浮かべた。
 だ~か~ら~~~だから、だからッ!
 その笑顔がいかんっつ~のッ! うちの長男にしてみたら最終兵器だってッ!
 そんなもん繰り出された日には。

「仕方ないな。俺も一緒に行くよ」

 ほ~ら、出たよ。
 当たり前のような決り文句だよ。出ちゃったよ。
 俺は、思わずがっくりと肩を落とした。ついでに荷物も落とした。
 勇仁兄がこう言うであろうことは、言い出した梓が一番良くわかっているわけで。
 あるいは、ひょっとしたら、いや、もう確信犯的に静かな我儘を言ってみたのだと、すぐに思った。
 その証拠に、「いいよ」と言いつつ、梓はむっちゃ嬉しそうで。
 これって、本当の本格的な決定打じゃなかろうか。
 兄と弟がデキちゃってる。
 そんな天文学的確率に思い切りぶち当たっちゃってる我が家って、一体?



 でもって、結局、勇仁兄と梓が先に奥入瀬渓流に入ることになり、量也兄と俺は後から追うと言うことになった。
 奥入瀬渓流は、焼山から入り十和田湖の子ノ口に抜けるのが基本散策コースなのだが、幾つも連なる滝の途中、石ケ戸の瀬辺りで合流する予定になっている。
 が、俺としては暢気にのんびりと飯を食うつもりはなかった。適当に掻き込んで、速攻で二人を追い駆ける。
 だって、兄弟でこれ以上の泥濘だけは、勘弁して欲しいじゃないか。
 そりゃ、人目の多い観光地で、なんかしでかすとは思わないけど。二人きりにするのは、やっぱり、いや~な気分だった。
 量也兄は「放っておけ」と言うけれど。
 俺は、さすがにそこまで寛大にも、アバウトにもなれなかった。
 それでも、実際に俺たちが二人を追えたのは、一時間ほど後になった。
 気持ちは急いていたけれど、観光地の名物料理屋の混雑は甘くはなかった。当然のことながら、俺の焦燥を汲んでもくれなかった。
 紫明渓、松見の滝、三乱の流れ。
 どれも満足に眼に入らなかった。いちいち感動して、「すごいぞ。諒。ちょっと見ろよ」と言う量也兄の声が鬱陶しかった。
 観光気分じゃなかったのだ。とにかく、先に行った二人に合流するまで、マジで気が気じゃなかった。
 だから、合流地点に指定されていた石ケ戸の瀬に辿り着いたときは、心底、ほっとした。
 かつて、これ以上の安堵など味わったことがないと言い切っても過言ではないくらいに。

「えっと……」

 周囲を見回し、売店を覗く。もちろん、トイレも見る。
 が、勇仁兄も梓も姿が見えなかった。
 俺たちが予定より遅れたから、先へ行ってしまったのだろうか。
 絶対に此処で待ち合わせと決めたわけではなく、この辺りでくらいのノリだったけれど、勇仁兄の性格から言って、きちんと此処で待っていてくれるものだと思っていた。
 梓が先に行きたいと急かしたのだろうか。
 すぐにそう思ってしまってから、俺は自分が嫌になった。
 なんだか、勇仁兄と梓がアヤシイと聞いてから、総ての悪いことは梓の所為、なにもかも梓がいけないと決めきっているところがある。
 それは、一応兄である身としては、ちょっといただけないよな~~と、改めて反省してはみる。
 もちろん、長くは続かないだろう。
 梓の顔を見たら、消し飛ぶに違いない。
その程度の反省……。

「どうした?」

 少し遅れていた量也兄が現れた。
 俺みたいに急くこともなく、きちんと観光して、此処までやってきた、その表情は実に清々しかった。いっそ腹立たしいくらいに。

「いないんだけどッ」

 八つ当たりめいた口調で言うと、量也兄はまた暢気そうに微笑んだ。

「じゃ、先行ってんじゃないか?」
「だって、此処で待ち合わせっ」
「厳密に此処って決めたわけじゃないだろ。俺たちがあんまり遅いから、先に進んだんだよ」
「そうなら連絡くらい……」
「いいじゃないか。すぐ追いつくよ。諒のあのテンポで歩けばね」

 量也兄は揶揄するように言って、俺の肩をぽんっと叩いた。
 その感触に、胸に張り詰めていたいや~なドロドロした澱みたいなものが、少しだけ解けて行くのを感じた。本当に少しだけ、だけど。
 阿修羅の流れ、九十九島、飛金の流れ……。
 その後も俺は、満足に観光もせずに、清廉な奥入瀬の渓流を流し見程度に見ながら突き進んだ。
 とにかく、早く二人に追いつきたかったのだ。
 双竜の滝。
 そこに辿り着いたとき、何故か急に人気が失せたうような気がした。少し奥まった印象があるから、そう感じたのかも知れない。
 相変らず、先の二人には合流出来ず、苛立ちは頂点に達して、発火まであと少しにまで追い詰められていた。本当にまさに気分は崖ップチだった。
 これを越えたら、喚き散らす可能性さえあった。
 俺は、かなりの諦めとともに滝の周辺を見やった。いないだろうな、と思っているから一瞬判別が遅れた。
 人間って、全く不思議に出来上がっている。
 見たくないものは見えないし、聞きたくないものは聞こえない。都合の良い感覚を持っている。
 でも、今回は、見たくないものではなかった。
 ただ、いるはずがないと言う思いの方が強過ぎたのだ。だから、判別しきれなかった。
 まさか、とも思っていたし。
 だって、あり得ないだろう。
 っつ~か、あり得て欲しくないと言うか。
 普通じゃないことだから。絶対に、オカシイ場面だった。
 自分の目をとにかく疑った。疑わないと、ひきつけとか起こしちゃいそうだった。
 おい、おい、おいおいおいッ!
 待てよ!
 幾ら、ちょっと奥まってるったって、充分衆人環視の元じゃないですか? 違いますか? 
 そりゃ、新宿とか渋谷とかみたいに人が溢れてるってわけじゃないですよ。違うけどさ。
 俺は、また肩ががくりと落ちるのを感じた。もちろん、荷物だって落ちたよ。落ちた。
 こう言う目撃はしたくなかったな~~~ッ。
 いや、マジで!
 話として聞いている分には、まだ何処かで信じていなくて、ツッコミ入れて冗談にしてる余裕もあったのに。
 もう、ダメでしょ。これじゃ。
 終わってるもん。確実に。
 だ、だって………キ、キスシーンですよ! キス!
 どの角度から見ても唇重なっちゃってましたよ。あれは。
「それは眼の錯覚だよ」とか「角度の所為だよ」とか、絶対に言えないくらい、強烈なキスですよ。
 し、しかも……しかもだ! しかも!
 積極的なのは、俄然兄貴の方だった。
 少なくともそう見えた。俺には。

「諒? 兄貴たち、いた?」

 そのとき、この状況を知るはずのない量也兄の声が聞こえて来た。
 俺がおたおたする間もなく、勇仁兄と梓は、ばっと離れた。
 っつ~か、これで更に終わりでしょう。おいおいでしょ。
 別に疚しくなければ普通に続けていればイイことで――いや、良くはないけど……
 まぁ、疚しくなければの話だから。いいのか、別に――こうやって、身内の声にびくんとして離れるって言うのは完全にヤバイことになってるってわけで。
 ま、早い話、デキちゃってると、断言してもいいわけだ。
 ガクゼン。
 いや、ほんと、改めて、マジでガクゼンだよ。
 そうでしょうよ。よく考えてみなよ。
 自分の兄弟とか親とかのキスシーンとかって見たくないでしょ。普通。一番キマズイ。
 これが、いわゆる「近親相姦」のおまけがついててみな。そりゃもう、どうしていいか……混乱の極地。
 勇仁兄は、俺と、遅れて現れた量也兄に、見え透いた作り笑いを見せた。梓の方は、言わずもがなの無表情。
 奇妙な気まずさが流れ過ぎて。
 量也兄だけが、ちょっとズレ気味に、

「やあっと追い着いた。兄貴もあずも歩くの速いよ~」

 と、笑った。
 俺は、思わず量也兄に肘鉄を食らわせていた。



 以降の観光は、気まずさだけが先に立ってしまって、残りの渓流の美しさも十和田湖の静謐な眺めも網膜を掠り抜けただけだった。残りも何も、俺の場合、それより前も全然見ちゃいないんだけどさ。
 ほとんど会話もないまま、俺たちは温泉郷の旅館に入った。
 旅装を解くと、もう、すぐに夕食になった。
 はっきり言って一番楽しみにしていた食事なのに、半分以上残してしまった。
 それは、昼も食べておらず、絶対に空腹なはずの勇仁兄も梓も同じで、ちゃんと食べ切ったのは量也兄だけだった。
 うらやましいことに。



 部屋に戻っても、気まずさは続いていて、会話らしい会話はまるでなかった。
 と言うか、どう切り出したらいいんだ? こう言うとき。
「いつからデキちゃってたんだよ」とか冷かすのもおかしな話だし、友達カップルをはやし立てるようなノリも変だ。
 俺は、むっとして、テレビ画面とニラメッコ状態で、勇仁兄と梓はそれぞれそっぽを向いて、荷物を整理したり、本を読んだりしている。
 家にいるときとなんら変わらない。家族旅行の意味がない。
 と言っても、それを壊したのは、いつも家族一丸的なルールを捲くし立てる長兄自身であり、会話のない味気ない家族旅行にしちゃったのも、彼だ。
 観光地で、後から弟たちが来るとわかっていて、末弟に欲情しちゃう長男っつ~のは、いかがなものか。
 どうですか? どうなんだろうよ。
 これぞ、究極の自業自得じゃあるまいか?
 まったくさ。

「諒~~風呂行こう。風呂。温泉~」

 でもって、またもや量也兄は、緊張感のない登場をした。
 行けると思いますか。この状況で。
 放っておいたら、とんでもないことになりそうな兄と弟を残して。

「後にするよ。先行って来なよ」
「いいから。行こう」
「だから~~」

 勇仁兄と梓を監視しようと決めている俺の気持ちを知ってか知らずか、量也兄は俺の掴んで引っ張った。
 懸命に抵抗したけれど、身長にして約十センチも違うと、体力の差は如何ともし難くて、俺はまるで引き摺られるようにして座敷から連れ出された。
 呆れているのか、ほっとしているのか。
曖昧な眼差しを湛えて、勇仁兄は俺たちを見送っていた。

「な、なんなんだよ!」

 廊下にまで連れ出されてから、やっと弛んだ量也兄の腕を振り解いて、俺は喚いた。

「二人にしちゃっていいのかよッ!」
「いいんだよ」
「なんでッ」
「二人とも子供じゃない。ちゃんと自分で判断出来る。していることがどう言うことなのか」
「判断出来るなら、なんで最初ッから!」

 何処までも冷静な量也兄の態度が腹立たしくて、俺は自分でも不快になるくらいヒステリックに叫び散らしていた。
 言外に、お前は子供だからと言われているような気がしたのかも知れない。もともと冷静な方ではないけれど、特にぶっちんと切れていた。

「判断出来ても、頭ではわかってても、どうしようもないときもあるんだよ。人間には。でも、そうなっちゃったときに一番ツライのは周囲じゃなくて、自分達なんだ」
「……自分達?」
「越えちゃいけないって判ってる垣根を越えたら、奈落だって、泥沼だって、ちゃんとわかってるんだから。気持ちが冷めるのを、待っていてやるのも優しさだよ」
「量也兄……」

 ただただ暢気で、人がイイだけだと思っていた量也兄の、思いがけなく思慮深い大人の余裕を見せ付けられて、俺は完全に言葉をなくした。
 敵わないと思った。
 我が家の絶対的「法律」である勇仁兄のきっぱりとした思い切りのイイ生き方とも、あっさりと俺を抜いていった梓の変な落ち着きとも違うけれど。俺にはない泰然自若。
 ああ、敵わないよ。
 うちの兄弟は、揃いも揃って俺より全然人間が上だ。上過ぎる。
 俺が、彼らに勝てるところって、どこか一箇所でもあるのかな。元気がいいとかうるさいとか、そう言うこと以外で。
 穿り返してみたら、隅を突いたら出て来るだろうか。ほんの針の先ほどのことでも。
 どんな小さなことでも、あるならあるで、嬉しいかも知れない。
 そう。
 かなり嬉しいかも知れない。
 見つけた日から以降は、それを誇って生きていけるから。

「諒みたいにぎゃんぎゃん騒ぐばっかりじゃダメだよ。少しは兄弟を信じてやらなきゃ」

 続けてそう言うと、量也兄は、俺の頭をこんっと小突いた。

「半分ずつでも、ちゃんと血が繋がってるんだから」